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衆妙の門
1、衆妙の門 (牛男訳「老子」)
道可道非常道
名可名非常名
無名天地之始
有名萬物之母
故
常無欲以觀其妙
常有欲以觀其徼
此兩者同出而異名
同謂之玄
玄之叉玄衆妙之門
原文は『世界の名著4 老子・荘子』(中央公論社)から借りた。訳は小川環樹。小川訳に異論をだそうという気持はさらさらない。僕は僕の老子に出会いたいと思っただけだ。だから、牛男訳老子は、あくまでも「僕の老子」ということでお許しいただきたい。小川訳との大きな違いは、
「故 常無欲以觀其妙 常有欲以觀其徼」の部分。小川訳では「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)しか見ることができない」と訳されてある。それだと、その後の、「此兩者同出而異名」が説明できないと僕は感じた。それに、そこを対立させてしまうと、老子の思想が硬くなる。僕は老子の本質を「柔らかさ、しなやかさ、瑞々しさ」だと感じている。だから、あえてこのように訳した。
「妙」の訳は自信がない。たぶん、ここはいつか別の表現に変えたい。「妙」は「見ることのむずかしい微かな様子」という語義がある。このあたりをなんとか生かしたいのだけど、これは宿題ということで。
道可道非常道
名可名非常名
無名天地之始
有名萬物之母
故
常無欲以觀其妙
常有欲以觀其徼
此兩者同出而異名
同謂之玄
玄之叉玄衆妙之門
道がことばで語ることができるものであれば、それはほんとうの道ではない。
ある名称によって名づけることができるのであれば、それはほんとうの名ではない。
名づけることのできないなにものか。そこから、宇宙は始まる。
名づけるという行いによって、あらゆる存在の母になる。
だから、ときとして、人は欲から離れて、見ることのできない微かないのちのうごめきに触れようとし、
また、ときとして、人は認識の明確な輪郭を手に入れようと焦がれる。
「見ることのできない微かないのちのうごめき」も「認識の明確な輪郭」という二つのものは、
同じものを、異なることばで名づけているだけである。
もとにあるものを宇宙の神秘と名づけることにしよう。
宇宙の神秘の向こうにはさらなる神秘がひろがる。
そこは、無数のいのちのうごめきにつながる門である。
原文は『世界の名著4 老子・荘子』(中央公論社)から借りた。訳は小川環樹。小川訳に異論をだそうという気持はさらさらない。僕は僕の老子に出会いたいと思っただけだ。だから、牛男訳老子は、あくまでも「僕の老子」ということでお許しいただきたい。小川訳との大きな違いは、
「故 常無欲以觀其妙 常有欲以觀其徼」の部分。小川訳では「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)しか見ることができない」と訳されてある。それだと、その後の、「此兩者同出而異名」が説明できないと僕は感じた。それに、そこを対立させてしまうと、老子の思想が硬くなる。僕は老子の本質を「柔らかさ、しなやかさ、瑞々しさ」だと感じている。だから、あえてこのように訳した。
「妙」の訳は自信がない。たぶん、ここはいつか別の表現に変えたい。「妙」は「見ることのむずかしい微かな様子」という語義がある。このあたりをなんとか生かしたいのだけど、これは宿題ということで。
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