プロフィール

Author:牛男
■マレーシア在住の塾教師。
インターナショナルスクール
IB Japanese講師。
男性 牛男、otiani
■ことば・異文化・論作文の紹介・マレーシアの紹介がメインですが、あちこち脱線しがちです。
■2007年2月2日開設

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

10 | 2009/11 | 12
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

FC2カウンター

全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

衆妙の門

1、衆妙の門 (牛男訳「老子」)


道可道非常道
名可名非常名
無名天地之始
有名萬物之母

常無欲以觀其妙
常有欲以觀其徼
此兩者同出而異名
同謂之玄
玄之叉玄衆妙之門



道がことばで語ることができるものであれば、それはほんとうの道ではない。
ある名称によって名づけることができるのであれば、それはほんとうの名ではない。
名づけることのできないなにものか。そこから、宇宙は始まる。
名づけるという行いによって、あらゆる存在の母になる。
だから、ときとして、人は欲から離れて、見ることのできない微かないのちのうごめきに触れようとし、
また、ときとして、人は認識の明確な輪郭を手に入れようと焦がれる。


「見ることのできない微かないのちのうごめき」も「認識の明確な輪郭」という二つのものは、
同じものを、異なることばで名づけているだけである。


もとにあるものを宇宙の神秘と名づけることにしよう。
宇宙の神秘の向こうにはさらなる神秘がひろがる。
そこは、無数のいのちのうごめきにつながる門である。



原文は『世界の名著4 老子・荘子』(中央公論社)から借りた。訳は小川環樹。小川訳に異論をだそうという気持はさらさらない。僕は僕の老子に出会いたいと思っただけだ。だから、牛男訳老子は、あくまでも「僕の老子」ということでお許しいただきたい。小川訳との大きな違いは、
「故 常無欲以觀其妙 常有欲以觀其徼」の部分。小川訳では「永久に欲望から解放されているもののみが『妙』(かくされた本質)をみることができ、決して欲望から解放されないものは『徼』(その結果)しか見ることができない」と訳されてある。それだと、その後の、「此兩者同出而異名」が説明できないと僕は感じた。それに、そこを対立させてしまうと、老子の思想が硬くなる。僕は老子の本質を「柔らかさ、しなやかさ、瑞々しさ」だと感じている。だから、あえてこのように訳した。

「妙」の訳は自信がない。たぶん、ここはいつか別の表現に変えたい。「妙」は「見ることのむずかしい微かな様子」という語義がある。このあたりをなんとか生かしたいのだけど、これは宿題ということで。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://otiani.blog82.fc2.com/tb.php/642-def02b26

FC2Ad

FC2ブログ