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Author:牛男
■マレーシア在住の塾教師。
インターナショナルスクール
IB Japanese講師。
男性 牛男、otiani
■ことば・異文化・論作文の紹介・マレーシアの紹介がメインですが、あちこち脱線しがちです。
■2007年2月2日開設

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東洋思想の源泉

大学に入ってすぐのこと。京都西賀茂の四畳半のアパートで待望の独り暮らしがはじまった。日々思ったり感じたりしたことを書き散らかしたり、書物や新聞やふと耳にした言葉などから気に入ったフレーズを写したりする大学ノートに、家計簿というか、買ったものリストも入っていた。要するに、何でもありの備忘録だ。僕はそのノートを「行動学ノート」と名づけた。何とも気負ったタイトルだけど、四畳半の部屋は僕にとって十分すぎるほどの大きさを持った城であったし、僕はここから世界を摑むための行動を始めるのだという気負いを持っていたのだから仕方がない。「行動学ノート」は、32歳のときに日本を離れるまで書き続けていた。



ノートに家計簿をつけたのは、生活を切り詰めるためだったのだけど、いきなりローン生活に入ってしまった。書籍の訪問販売員の営業口調にすっかり乗せられて買ったのが、中央公論社『世界の名著』全66巻。たしか11万8000円位だったかな。36回の分割ローンだった。四畳半の殺風景な部屋に、この本だけが立派に陳列していた。よしと思って、まず全部の解説と付録を読んだ。そして、最初に読み出したのが、『プラトン』『バラモン教・原始仏典』『大乗仏典』『老子・荘子』『諸子百家』だった。人類の知の源流を知りたかったのだろう。



この読書体験は、とても貴重なものを僕に残してくれた。それは、一般に、普遍的価値と言われているものが、実は歴史的産物、それも、西洋ローカルの価値であること実感として持ちえたこと。排中律や人間中心主義、理性信奉を相対化する視点を得ることができたことは大きかった。訪問販売員のおじさん、ありがとう。



仏教思想の中では、「空」と「縁起」がわかれば十分だと思っている。後は方便だ。老荘は「道」。これは孔子のいうような「人倫の道」とは無関係だ。面倒なのは老子と荘子の間でも「道」の意味づけが異なる。




荘子は紀元前370年ごろに生れた人。老子と並んで老荘思想と言われ、この流れが道教(タオイズム)に繋がっていく。孔子の儒教が為政者の教えだったのに対して、道教は中国民衆の底流に流れている。老荘思想の観念的思弁形態が、その後、仏教が中国に渡来してきたときに仏教思想を積極的に受容する受け皿となった。だから、中国経由の日本の仏教は、とくに浄土宗と禅宗は道教的だったりする。



孔孟が中国社会の表層を形づくるものだとしたら、老荘は中国の深層である。この二つのものは対立しながらも連動している。



孔子は人間社会の価値の前提に「天」を置く。人は天命によって生きており、王が国家を統治するのも天命によるという、一種の王権神授説だ。老子は「天」よりも上位あるものとして「道」を仮定する。「道」とは、天と地より先に存在した何ものか。あらゆるものを生み出した存在の母胎のことだ。老子の「道」は「無」と言い換えてもいい。荘子においての「道」は「無」さえも否定する。「無」と言ってしまったら、その概念が固定化するから。荘子の「道」はもっと流動的な何ものか。有に対する無ではなく、有でも無でもないもの、無限の流動そのもの、そこではあらゆる差別や区別がなくなり、あらゆる存在が歌を歌いだす。すべてがあるがままにてよしとなすところ。



僕が荘子に魅かれるのは、言葉の分節化作用を知り尽くして、それを徹底的に解体した後に見える「万物斉同」(=絶対無差別)の認識に達したこと。西洋がそれに気づいたのは、20世紀半ばになってからだった。



「実存は本質に先立つ」ことを指摘したサルトル、「集合的無意識」を発見したユング、存在そのものが歌いだす世界を描いたカフカとリルケ。西洋は、人類共通の泉を掘り起こした。東洋は2400年前に湧きあがった泉を枯らしてしまったのだろうか。



東洋思想を西洋の思想言語によって捉え直した傑作として、『意識と本質』(井筒俊彦 岩波文庫)がある。イスラム学者なのだけど、この本一冊で、東洋思想を俯瞰できるほどに素晴らしい本だ。


「魂のふるさと」の一環として、東洋思想を掬いあげてみようと思う。本当は、荘子の「渾沌」から行きたいのだけど、老子から始めるのが筋かな。それはそのときの気分ということで。

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