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和泉式部の情熱
さまざまなジャンルの「ことば」を読み解きながら、ことばの宇宙を渡り歩こうというのが、この企画のねらい。文学作品を中心に、その時々の心にひっかかった「ことば」を紹介していこうと思っています。ただし、僕は酒聖大学飲酒学部泥酔学科出身なので、酔っぱらいの論理そのまま、独断的・主観的かつ論理に飛躍や脱線があることをあらかじめお断りしておきます。「それって先生の授業そのままやん」放っといてんか。
第1回目は、格調高く古典作品の紹介から。
■華やかな恋の奥に秘められたもの■
和泉式部という名前は、平安時代の女流文学華やかなりし頃の、恋多き女性というイメージが固定している。
黒髪の乱れも知らず打伏せば先ず掻き遣りし人ぞ恋しき
与謝野晶子の「その子二十櫛に流るる黒髪の……」の歌を同時に思い浮かべる人が多いだろう。確かに、匂いたつような情感あふれた歌だ。でも、晶子とあきらかに違うのは、晶子のはちきれるほどの生の肯定が見られない。複雑な心のひだを隠し持っている人だなという印象を受ける。「先ず掻き遣りし人ぞ恋しき」という下の句に、切迫した感情のたかまり、自分で自分を制御できない、生きることに精一杯の命のほとばしりを感じる。華やかな恋を演じ、自由な恋愛が許された当時であっても、藤原道長から「軽い女」とからかわれた和泉式部。良識の枠をはみ出してしまいながら、そうした自分を持て余している彼女の心の底を次の歌に見る。
冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
十代後半の時にこのような歌を詠んだ彼女の世界はどうなっていたのだろう。華やかさの陰に暗さを抱え、暗黒の中で何かに必死にしがみつくように出てくる「はるかに照らせ」という祈りにも似た感情。西行のとりすました諦念や無常観などふっとんでしまう。平安時代の「自由で華やかな恋愛」とは実は、男の側から見た恋愛観で、女の側に立ってみると、いつ来るかわからない相手を待ち続ける、不安定な立場に中吊りにされた状態だ。しかも、当時の女性には、恋という枠の中でしか自己表現の場はなかった。和泉式部は、限定された自己表現の場にあって、与えられた「女」としての型を過剰なまでに演じることで、「型」を超えた生命の闘いにまで表現を昇華させた。だから当時の男からも、あるいは与えられた型の中でぬくぬくと生きている女たちからも突出した存在となったのだろう。
■型を内側から破壊する力■
詩というのは、技巧に技巧を重ねた先に見える「何か」を求めるか、心のリズムがそのまま吐き出されるか、いずれかの両極の間を揺れるものだと僕は思っている。藤原定家が前者だとしたら、和泉式部は後者の最たるものだろう。だから、ときどき技巧が崩れる。座り心地の悪い印象を受ける。たとえば、娘の小式部が十代で亡くなったときの絶唱。
留め置きて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり
上の句は、「この世に留め置いた人達の中で娘は誰をあはれと思っているのだろうか」と、ふと思う。そして、下の句で「わが子が誰よりもまさっているだろう」と推量した後に、「子はまさりけり」と唐突に断定がくる。結句で自分の感情が入り込んでしまい、バランスとしては悪い。が、この畳みこむような気迫は和泉式部の気息がそのまま伝わってくるような感動がある。といっても、和泉式部に技巧が足りないというわけではない。
君恋ふる心はちぢに砕くれど一つも失せぬものにぞありける
心がちぢに(千千に)乱れるという表現は、慣用表現だ。しかし、そのイメージを下の「一つも失せぬものにぞありける」で、慣用を慣用としてではなくて、新鮮なイメージに結実させている。これは、「ちぢに乱れる」ではなく「ちぢに砕ける」という表現の持つイメージ喚起力による。ガラスのように千千に砕けた心。心の破片が実在しているもののように、きらきらとこぼれ落ちる。そして、一つ一つの破片は砕かれ散っても、一つも失われることがない。慣用を逆手にとった「生きた」表現がここに生まれる。
はかなしとまさしく見つる夢の世を驚かで寝る我は人かは
最愛の人である帥宮敦道親王を失ったあとの心の空白。でも、日常生活を送っている自分がある。そういう自分に対する驚き。親王と暮らした「はかない夢の日々」、それが終わってしまった今でも、私ははかないこの世に醒めないでたっぷりと眠っている。そういう自分に対して「我は人かは」と激しい調子で問いかける。自分自身に対する驚き。「瞑きより……」の歌に見られた、冷酷に自分を見つめる眼をここに感じる。和泉式部の魅力の一つに、自分を見つめる時の、冷酷とまでいえる批判精神がある。それは単に、恋に自己陶酔している「恋多き女」のイメージとは遠いものだ。容赦のない自己批判とあふれるほどの情熱、それが、和泉式部の魅力を形作っている。
第1回目は、格調高く古典作品の紹介から。
■華やかな恋の奥に秘められたもの■
和泉式部という名前は、平安時代の女流文学華やかなりし頃の、恋多き女性というイメージが固定している。
黒髪の乱れも知らず打伏せば先ず掻き遣りし人ぞ恋しき
与謝野晶子の「その子二十櫛に流るる黒髪の……」の歌を同時に思い浮かべる人が多いだろう。確かに、匂いたつような情感あふれた歌だ。でも、晶子とあきらかに違うのは、晶子のはちきれるほどの生の肯定が見られない。複雑な心のひだを隠し持っている人だなという印象を受ける。「先ず掻き遣りし人ぞ恋しき」という下の句に、切迫した感情のたかまり、自分で自分を制御できない、生きることに精一杯の命のほとばしりを感じる。華やかな恋を演じ、自由な恋愛が許された当時であっても、藤原道長から「軽い女」とからかわれた和泉式部。良識の枠をはみ出してしまいながら、そうした自分を持て余している彼女の心の底を次の歌に見る。
冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
十代後半の時にこのような歌を詠んだ彼女の世界はどうなっていたのだろう。華やかさの陰に暗さを抱え、暗黒の中で何かに必死にしがみつくように出てくる「はるかに照らせ」という祈りにも似た感情。西行のとりすました諦念や無常観などふっとんでしまう。平安時代の「自由で華やかな恋愛」とは実は、男の側から見た恋愛観で、女の側に立ってみると、いつ来るかわからない相手を待ち続ける、不安定な立場に中吊りにされた状態だ。しかも、当時の女性には、恋という枠の中でしか自己表現の場はなかった。和泉式部は、限定された自己表現の場にあって、与えられた「女」としての型を過剰なまでに演じることで、「型」を超えた生命の闘いにまで表現を昇華させた。だから当時の男からも、あるいは与えられた型の中でぬくぬくと生きている女たちからも突出した存在となったのだろう。
■型を内側から破壊する力■
詩というのは、技巧に技巧を重ねた先に見える「何か」を求めるか、心のリズムがそのまま吐き出されるか、いずれかの両極の間を揺れるものだと僕は思っている。藤原定家が前者だとしたら、和泉式部は後者の最たるものだろう。だから、ときどき技巧が崩れる。座り心地の悪い印象を受ける。たとえば、娘の小式部が十代で亡くなったときの絶唱。
留め置きて誰をあはれと思ひけん子はまさるらん子はまさりけり
上の句は、「この世に留め置いた人達の中で娘は誰をあはれと思っているのだろうか」と、ふと思う。そして、下の句で「わが子が誰よりもまさっているだろう」と推量した後に、「子はまさりけり」と唐突に断定がくる。結句で自分の感情が入り込んでしまい、バランスとしては悪い。が、この畳みこむような気迫は和泉式部の気息がそのまま伝わってくるような感動がある。といっても、和泉式部に技巧が足りないというわけではない。
君恋ふる心はちぢに砕くれど一つも失せぬものにぞありける
心がちぢに(千千に)乱れるという表現は、慣用表現だ。しかし、そのイメージを下の「一つも失せぬものにぞありける」で、慣用を慣用としてではなくて、新鮮なイメージに結実させている。これは、「ちぢに乱れる」ではなく「ちぢに砕ける」という表現の持つイメージ喚起力による。ガラスのように千千に砕けた心。心の破片が実在しているもののように、きらきらとこぼれ落ちる。そして、一つ一つの破片は砕かれ散っても、一つも失われることがない。慣用を逆手にとった「生きた」表現がここに生まれる。
はかなしとまさしく見つる夢の世を驚かで寝る我は人かは
最愛の人である帥宮敦道親王を失ったあとの心の空白。でも、日常生活を送っている自分がある。そういう自分に対する驚き。親王と暮らした「はかない夢の日々」、それが終わってしまった今でも、私ははかないこの世に醒めないでたっぷりと眠っている。そういう自分に対して「我は人かは」と激しい調子で問いかける。自分自身に対する驚き。「瞑きより……」の歌に見られた、冷酷に自分を見つめる眼をここに感じる。和泉式部の魅力の一つに、自分を見つめる時の、冷酷とまでいえる批判精神がある。それは単に、恋に自己陶酔している「恋多き女」のイメージとは遠いものだ。容赦のない自己批判とあふれるほどの情熱、それが、和泉式部の魅力を形作っている。
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